やられてもやり返さない。時間の無駄だから。

"やられたらやり返す、倍返しだ!"というフレーズが流行りましたが、現実では些細な"やられた"にはやり返さない方が自分を守れます。

 

ここで言う"やられた"は、批判を受けたり悪態をつかれたりして、嫌な気持ちになるようなことだと思ってください。

これらは交通事故やゲリラ豪雨に遭うようなもので、自分ではコントロールできません。

自分と人間関係を紡いでいるその先の人間も、自然物ですから。

 

その一方で"やり返す"かどうかは自分で選ぶことです。そう、自分で選ぶ意識が大切です。

やり返すには時間もエネルギーも必要で、しかも達成されるまで苦い思いを反芻し続けることになります。

その時には既に敵の干渉を受けていないにも関わらず。

それは自分の手で損害を拡げることです。

だからやり返さないことを選ぶ必要があります。

 

やり返さないことを選ぶ方法は簡単です。

他人の言動で自分が何か奪われたかを確認するだけです。

大抵の場合、ある程度の時間と気力が損なわれたくらいだと思います。

でもこれは人間社会で生きていれば誰もが受ける摩擦で、不可避です。

自尊心や勇気を奪われたと思うことがあるかもしれませんが、それは気のせいです。

なぜならその人と出会う前、自分は自分らしさを保てていたからです。

頭の中でその人を切り捨てて、出会う前の自分に戻れば大丈夫です。

 

事故や豪雨に見舞われやすい構造の中に自分がいる場合、つまり決まって自分に嫌なことをする人が近くにいる場合、やり返す代わりにその人との関係を壊して捨てれば大丈夫です。

その人がどう感じるかは関係ありません。

お互いに、出会う前は自分の人生を生きていたのだから、戻るだけです。

 

まとめると、"やられた"ことは生きていれば誰もに降りかかる事故。仕方ない。でもその後の行動は自分で決める。

自分で選べることを外因に支配させてはいけない。

ネガティブな過去は考えないこと。これは精神的に良い悪い以前に、最も得(損害が最小)。

という感じです。

有限な時間を生きる中で、やり返す人とやり返さない人の間には、大きな余暇時間の差が生まれると思う次第です。