大切な人の弔い方を持っておきたい

僕は身近で大切な人の死をまだ経験していません。幸い家族も友達も健在です。

でも大切な人との死別はいつか必ず訪れますし、それは今日かもしれません。

その時に、うろたえて何もできないのは嫌だと思いました。

つまり予め大切な人の弔い方を自分の中に持っておきたいと思ったのです。

 

弔う方法=手段を準備しようと思ったら、まずその先にあるはずの弔う目的を考える必要があります。

何のために弔いが必要だと思ったのでしょうか?

それは2つありました。

一つは自分のため。気持ちに整理をつけて、大切な人が死んだ後も続く人生を前向きに生きること。

もう一つは死にゆく人のため。死にゆく人が、自身の人生をより納得・満足のいくものだったと思う手助けをすることです。

この2つを達成するための行動は、やはり感謝を伝えることだと思います。

つまり相手が生きているうちに「ありがとう。あなたとの楽しい思い出が僕の中に残っているよ。とても大切な存在だったよ。」ということを伝え、認識してもらうことです。

そう、これはお互いが生きているときにしかできないことです。

なぜなら、(これは僕の個人的な定義ですが)感謝は相手のキャッチャーミットを鳴らして初めて感謝としてカウントされるからです。

 

因みに

  • 非の打ち所がない葬儀を営み読経してもらうこと。
  • 専門職の人に戒名をつけてもらい高額なお墓に遺骨を納めること。
  • 深く悼み喪に服すこと。

これらは全て感謝としてカウントできず、僕にとっての弔う目的を果たせないので特にやる意義がありません。

だから可能な限りオプションを省いて低コストで行うことにします。

そして金銭的な余裕を少しでも確保したら、その分を生きている間の思い出作りに使いたいと思います。

 

以上から、僕の「大切な人の弔い方」はお互いが生きている間に思い出作りをして、感謝を伝えることだとわかりました。

僕の弔いは死別後にできない。これは言葉として矛盾しているけど真実です。

このことを自分の中に持ちながら生きると、大切な人との時間が有限だという事実が浮き立ちます。

そして、過去や未来ではなく今のコミュニケーションに集中できます。

結局のところ、目の前の人との関わり方に少しでも後悔を残さないようにしたいねというお話でした。