子供を叱る/叱らないの夫婦間ギャップが言語化されていた

先日、育児について"こういうことだったんだ!"と思えるTwitter投稿を見つけて、心のつっかえが取れました。

それは、ひだ ゆう 心理相談員(発達)さんという方の次の投稿です。

アレントレーニングの考え方では、人の行動は3つしかない。幼児も同じ。

①好ましい行動
②できればやめて欲しい行動
③絶対にやめて欲しい行動

叱り過ぎてしまう事が多い時には。
②と③がうまく整理できていないのも要因の一つ。

本当に叱るべきは③。
②は実は見過ごしても良い場合がある。

https://twitter.com/zteacher2017/status/1362514660025458688?s=21

 

うちの夫婦には

パパ:ほとんど怒らない叱らない

ママ:頻繁に怒る叱る

という違いがあって、お互いがお互いの育児スタイルに対し、本当にそれでいいの?と心の中で思っていました。

何度か言葉でそれを伝え合ってみましたが、価値観の違いがぼんやりと再確認されるだけで、前向きな議論にはなりませんでした。

 

そこで見たのが上記の投稿です。

うちの夫婦で子供への対応に差があったのは②の部分だけのことだったんだ!と思いました。

思い返せば子供が①の明らかに好ましい行動をとったときはパパもママも手放しで褒めますし、③の例えば車道に飛び出しそうになったときなどはパパもママも迷わず大きな声で制止して教えます。

②に対してだけ、両親の対応に違いがあるのです。

 

僕は、①③への対応は両親で一貫性がとれているのにこれをポジティブなこととして受け止めることをしないまま、②への対応に違いがあることが全てであるかのように課題視してしまっていました。

「子供との向き合い方が両親で全然違う」のではなく、実態は「子供との向き合い方の大半は両親で一貫性があるけど、部分的に違う」だったのです。

(↑ひだ ゆうさんの意図されたメッセージの受け取り方とは違うとわかっていますが、投稿を見て今の自分の状況から気づいたことになります。)

 

このパラダイムシフトを経て思ったのは「部分的に違うくらいなら(子供もそこまで困惑するわけじゃないと思うし)別にいいじゃん」です。

両親で擦り合わせるべきだと思っていたギャップを、放置してもいい単なる個人差として感じられるようになりました。

課題が課題でなくなり、そもそもなんとかする必要がなくなったのです。

肩に乗っていた課題は自分が勝手に作ったものだとわかり、その瞬間にスッと消え心が軽くなりました。

 

転じて考えると、自分の心には他にも放置して差し支えない課題、見方を整えると問題でもなんでもなくなることがあるかも知れません。

成長したいとか、お金を稼ぎたいとか、人に好かれたいとか…本当にそれって、どうにかしなきゃ笑顔になれない?

知らず知らずどこかで拾ってきた固定観念に縛られてない?

自分の根底にある価値観に照らし合わせ、ときどき確認しながら生きていきたいなと思いました。