おどおどする人、判断が苦手な人に不快感を示す人の正体
おどおどする人や判断が苦手な人に苛つく人っていますよね。
なぜ自分や大切な人を攻撃されたわけでもないのに、苛ついたり見下したりすることが起きるのでしょうか。
反対に、優しさに溢れる人が厳しい人に嫌悪感を覚えるケースもありますが、直接害を与えてきたわけでもない他人に不快感を抱いてしまった経験自体は多くの人にあると思います。
この現象について「なぜ?だから何が言えるの?」を考えてみました。
他人を攻撃してもいない人に不快感を示す人
他人に攻撃や批判をしていない人、自発的に周りに有害な干渉をすることなく生きている人を
- 優柔不断だ
- 気が利かない
- 行動規範が自分と違う
- おどおどしていて弱そう
みたいな理由で辛く当たったり、嫌いだと表明したり(思うだけなら自由だと思いますが)する人っていますよね。
(みたいな理由でと言いつつ、その人たちが明確に理由を持ってそうしているのかはわかりませんが。)
どうして他人の一つの側面に苛つき、それを表明するに至るのでしょうか。
仮説ですが
- 自分の「べき論」から外れているから
- 自分の優位性を確認したいから
- 自分の取り分が減る気がするから
の3つの場合があると思いました。
自分の「べき論」から外れているから
一つは、自分が「こうあるべき」と考える人間像に反しているから、という場合です。
誰もがこうありたいという人間像や行動規範を持っています。
中でも苛つく側の人は
- 常に自分の意見を持ち、堂々と振る舞うべき
- 選択肢を前にしたらリスクを踏み越えて判断を下すべき
という行動規範を持っています。
そしてそれを自分だけでなく他人にも課しているのです。
僕が見た次の2人がそうです。
①ドラマに登場する気弱な青年役に「この人見てたらイライラするんだよね」と言うおばさん
コードブルーという医療ドラマに「心優しいが、自分の意見や判断に自信がなくいつもおどおどしている青年」が登場します。
その人物がうろたえたり葛藤したりするシーンを見て、苛つく、嫌いと言っているおばさんがいました。
そのおばさんが好きなのは、いつも合理的で迅速な判断を下す主人公の人物です。
②テレビで野球観戦をしていて、判断ミスをした監督や選手への苦言を垂れ流すおじさん
好きなチームの監督や選手が判断を誤ったとき、周りに聞こえる声で「何やってんだよアホ!」などと言うおじさんです。
自分の"嫌い"を認識すること自体は良いと思います。
それは、反対に自分が何を大切に思い、何を選べば幸せに近づけるのかをはっきりさせてくれるからです。
ただ、"嫌い"をわざわざアピールするときは、上記の登場人物のファンや、ミスしながらも諦めず戦い続ける姿が見応えだと思っている野球ファンにもそれが届く可能性があることを認識しておく方が良いと思います。
自分の優位性を確認したいから
もう一つは、あの人はしっかりしていないけど自分はきちんとしていると、他人を引き合いに出すことで自分の優位性を示したい場合です。
この場合も苛つく側の人は「べき論」を自分に課していますが、他人には課していません。
むしろ周りができていなければいないほど、できている自分が際立つと思うからです。
自分の取り分が減る気がするから
仕事や家事・育児をするとき、意見発信や判断は事を前に進めるために必要ですが、責任を伴います。
結果的にそれが間違っていれば、コミュニティ内で責められたり格好悪いと思われたりするかもしれません。
意見を言わず判断しない人に苛つく人は、そういった"リスクを負わず楽をしている人"が自分と同じように報酬を分配されることが許せません。
自分がその人たちの分も頑張ることになっていて不公平だと、心のどこかで感じています。
自分は会社で利益を上げる努力をしているけど、あいつはその働きをしていない。
→あいつにも給料が与えられているせいで、組織から自分に分配される分が圧迫されている。
自分は家事や子供の世話に多くの時間を使っているのに、パートナーは余暇時間を長く取って好きなことをしている。
→あいつのこなす家事・育児量が少ないせいで、自分がその分多くやらなければならなくなっている。
といった論理です。
苛つく側の論理がわかった先に
苛つく人の論理について、3パターンの仮説を立てました。
誰かに苛ついている人を見たらいい気分はしませんが、どのパターンに陥っているのか振り分けてみると、何が起きたのか一旦冷静に捉えられる部分が出てきます。
ちなみに各場合には次のような対処案が考えられます。
- 自分の「べき論」から外れていると苛つく人→縛られていて気の毒だなと思いつつ、距離を取る。
- 自分の優位性を確認したい人→その人の努力を褒めたり認めたりして、自尊心を保ってあげる。
- 自分の取り分が減る気がしている人→頑張りに応じた報酬が与えられるシステムや環境を用意し、納得してもらう。
反対に、自分がつい誰かにイライラしてしまったときも、同じように一度俯瞰して感情を落ち着かせることができ、人を傷つける行動に出る前にブレーキをかけることができます。
苛つく人を気にして悩んだり、他人に苛ついて楽しくない時間を過ごすと、その分人生がもったいないです。
そうなってしまいそうなときは、思い出してみようと思いました。